ソラユメハウス 柏木みらるの創作物保管庫

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物語

月面幻想都市

 真っ黒な空。そこにただひとつ、煌々と輝く蒼い星、天地星《アース》。その青い光の下、艶消し銀の冷たい大地の縁に、リンナは腰を掛けて天を見上げていた。
 艶のある黒髪が青の光に包まれ、星と同じ色の瞳が揺れていた。

 リンナの暮らす第三円盤は、白い塔に貫かれた七つの円盤大地《テララント》の、下から数えて三番目。艶消し銀の冷たい円盤だ。第三円盤は円盤大地の中で二番目に大きくて、縁からは空がよく見えた。
 リンナはその景色が何よりも好きだった。昔――まだこの区画の昇降機が生きていた頃――空を第五円盤に覆われた第四円盤にたったときの衝撃を、彼女はまだ覚えていた。空のない世界。ただ、光灯塔の反射光でうすぼんやりと灰色の色を見せる巨大な円盤に覆われた天が、ただそれしかない空、閉鎖的な世界は、幼いリンナには息がつまりそうだった。
 第四円盤の景色を見てからというもの、リンナはそれまで以上に、第三円盤の縁に居座るようになった。一日の自由になる時間はほとんどずっとそこで空を見つめていた。

「おーい、リンナ! いるか?」
 遠くからリンナを呼ぶ声が聞こえ、背後の落下防止柵の向こう側を見ると、そこには同じ共同住居《ハウス》で暮らすおじさん、オクルの姿があった。
「いまーす!」
「ちょっと栽培場《プラント》の様子見に来てくれないか?」
「管理者《アドミ》はー?」
 栽培場にはいくらか複雑な機械が置かれている。それを管理調整するのは、基本的に管理者の役割だ。
「南ブロックの定期メンテナンスに出てる!」
 管理者の不在を伝える言葉に、リンナは一瞬口を尖らせた。だが、栽培場は人々の生活の基盤であり、ほうっておくわけにもいかなかった。
「行きまーす!」
 リンナは柵を乗り越え、オクルのところへ駆けて行った。
「いつも悪いな。せっかくの休みを邪魔しちまって」
 リンナは肩をすくめた。
「いえ」
「環境制御装置の方なんだが、全くお手上げでな」
「分かりました。見てみますね」

 円盤大地上には、外側から、植林地区、生産地区、居住地区があり、高い壁を隔てて中心には白い塔がそびえていた。
 リンナたちは、規則正しく樹木や草花が配置された植林区画を通り抜け、四角い巨大な建造物のところへやってきた。水と光で食物を栽培する水耕栽培場《プラント》だ。
 灰色の扉を抜け中に入ると、白い栽培棚が規則正しく並んでいた。棚からは白や赤の明るい光があふれている。その横にはやはり規則正しく灰色の制御卓《コンソール》が設置されていた。リンナはそのひとつの前に立った。
「これですね」
 画面に警告のメッセージはないが、棚を一目見てこの列の光制御がおかしいのが見てとれた。
「ああ、この列には今は赤色を当てたいんだが、どうにも白色になってしまってな」
 この列の栽培棚からは周囲と同じ作物の葉がのぞいていたが、成長灯の光は周囲の赤とは違い、白色だった。
 リンナはシステムの設定画面を開いたり閉じたりを繰り返した。通常の作業では使わないシステム設定やプログラムの動作状況を確認していく。そして、正常に発光している隣の列の制御卓でも、同じ操作をすると言った。
「光波長設定が狂ってるみたいです。設定し直してみますけど、管理者が戻ったらまた見てもらってくださいね」
 リンナは問題の列の制御卓を素早く操作しながらそう言った。そして、棚の下段の側面を開けて、棚の電源を直接を落とした。そして水循環が止まるとともに白色光が消えたことを確認すると、再度電源を入れた。
「たぶん、あとは普通に調整できます」
 再度転倒した光は、周囲の棚と同じ赤色光になっていた。
「ありがとう、助かったよ。さすがだな。君も将来は管理者になったらどうだ?」
「さあ、それは……」
 リンナは肩をすくめ、ちょっと困ったような顔をした。機械をいじるのは好きだったが、室内に閉じこもって機械と対面し続ける仕事が向いているとは思えなかったのだ。何と答えたものかとリンナが逡巡していると、
「あ、リンナいた!」
 背後から舌っ足らずな声が聞こえた。振り返ると、栽培場の入り口に茶髪の幼い女の子が立っていた
「メア、どうしたの?」
 リンナは一瞬驚いたように息をのんだが、その後すぐにふっと微笑んだ。メアは同じ共同住居《ハウス》の子供だった。五歳、このブロックで一番小さい女の子だ。
「ママがリンナ呼んで来なさいって。いつものふちっこにいなかったから、ここかなって思って」
 メアは自慢げに胸をはって、黒い瞳を輝かせた。
「ありがとう、メア」
 リンナが短い茶色の髪の毛をくしゃっと撫でると、メアは満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
「それで、母さんはなんでか言ってた?」
「お客さんだよ!」
「客……?」

 ベージュの四角柱、共同住居《ハウス》が敷き詰められた居住区。リンナたちはそのひとつの扉を開けた。
「お帰りなさい、リンナ。待っていたのよ。メア、ありがとう」
 そこにはメアの母親と、この住居の住人ではない者がひとり、リンナの帰りを待っていた。
「西ブロック四二の五番、リンナとは君のことだね。君を迎えに来た。一緒について来てもらうよ」
 よどみなくそう告げたものは人間の姿をしていなかった。全身を覆う白い体毛と赤い目、そして何より長い耳が月長族《うさぎ》の特徴を表していた。円盤大地の中心を貫く塔の住人の特徴を。
「塔の月長族が何の用? 私、塔に侵入したりしてないわよ」
 人々の間では「塔に入り込もうとした人間は月長族にさらわれる」と言われていた。塔の住人が外に出てくるところなど、ほとんどの人間は見たことがない。それでも、まれに見られるその不気味な姿から、そんな風に言われることがあった。それは、塔を囲む壁を子どもたちが越えようとすることを止めるための、単なるおとぎ話にすぎなかったが、信じている人間は少なくなかった。
「別に君を罰しに来たわけではないよ。君は選択されたんだ」
「選択……? いったい何に?」
「ついてきてくれたら教えてあげる。……この世界の存続に関わる物語、とだけ言っておこうか」
 人間とは異なる月長族の顔からは、何の感情も読みとれなかった。そのため、月長族の言葉に悪意があるのかどうかさえ分からなかった。
「リンナを、どうするおつもりですか」
 鋭い声でメアの母親が言った。彼女は自分の娘をしっかりと抱きしめていた。
「悪いようにはしませんよ」
 白い月長族はそれだけ言うと、リンナを赤い瞳で見据えた。
「無理矢理連れて行くこともできるんだけど」
 月長族はついてくる気はあるか、と尋ねていた。
「何で、私なの? 私でなければいけないの?」
「何で君なのかは僕にも分からない。でも、誰でもいいって訳じゃないんだ。僕たちの神様が君を選択したんだからね」
 リンナは肩をすくめた。
「いいわ。意味が分からないけど、ちゃんとここに戻ってこられるなら」
「大丈夫。そのために行くんだからね」
「リンナ、行っちゃうの?」
 メアが母親の腕から抜け出して、リンナの服の裾を引いた。
「心配しないで、メア。また戻ってくるから。――行ってきます。みんなにはちゃんと戻ってきますからって、伝えてください」
 リンナはメアの頭を優しく撫で、彼女の母にそう告げた。住居の扉をくぐるともう振り返らなかった。帰ってこれなくなる覚悟はしていた。

 月長族は、居住区から中心塔へ通じる通りへと進んで行った。居住区と塔の間には、銀の壁が高くそびえ、円盤大地《テララント》と塔とを明確に隔てていた。それはデコボコもつなぎ目もない、一枚の鏡のような壁面で、よじ登ることもできなければ、扉があるようにも見えなかった。
「どうやって入るの?」
 リンナは尋ねたが、月長族は答えなかった。リンナは口をへの字に曲げて不満を表し、もう一度尋ねようと口を開いた。
 そのとき、甲高く細い音が耳の中で響き、リンナは思わず耳に手を当て、顔をしかめた。耳鳴りはいつの間にか消えていて、ふと壁を見るとそこには人が通れるくらいの四角い穴があいていた。
「何……したの?」
「もちろん、扉を開けたのさ」
 月長族の素っ気ない答えに、リンナは扉なんてなかった、と言いかけて口をつぐんだ。平然と穴をくぐる月長族に、それ以上のことは聞いても無駄なのだ思ったのだ。
 壁の内側は、鏡のようだった壁と同じくらいのっぺりとして無機質で、生活感も暖かみもないところだった。ただ平らなだけの銀の地盤だけが、白い塔までずっと続いていた。
(誰もいない。逃げようと思えば逃げられそう)
 壁の内側に足を踏み入れてそんなことを考えていると、また耳鳴りした。はっとして振り返ると、壁はまたつなぎ目ひとつない鏡の用になっていた。扉の開閉の秘密は、到底分かりそうになかった。
「このまま、塔に幽閉とかするつもりじゃないでしょうね」
「まさか」
 月長族は白い頭を横に振り、そして塔に向かって歩みを進めた。
 近づいてみると、乳白色の塔の壁面もまた境界の壁と同じく、つなぎ目もなくツルツルとしているのが分かった。扉も窓さえもない。
 だが予想通り、甲高い耳鳴りがして、気がつかないうちに塔には入り口ができていた。入り口が閉まるときの耳鳴りも、壁の時と全く同じだ。
 違うのは景色くらいなもので、今度は病的なまでになにもかも真っ白でまぶしかった。壁にはやはりつなぎ目も何もなくて、細長く緩やかなカーブを持つ廊下だけが続いていた。
「今更こんなこと言うのもなんだけど、円盤大地《テララント》人の私がここに入ってよかったの?」
 リンナは入り口で立ち止まったまま言った。
 さっさと先へ進もうとしていた月長族はちょっと振り返ると、
「入ってはいけないなんて、ここにいる誰も言ってはいないよ。入れないし、入らせないだけさ」
 それだけ言ってまた歩き始めた。
 半ば塔の中に閉じこめられた格好になったリンナは、納得してはいなかったがついて行かざるを得なかった。
 どこまでも変わらず真っ白な道を、しばらく歩いて行くと、月長族が不意に足を止め、内側の壁の方を向いた。すると今やおなじみとなりつつある耳鳴りがして、次の瞬間、壁にはリンナが通り抜けられそうなくらいの、丸い穴があいていた。中はこことは対照的に真っ暗で何も見えなかった。
「さて、行くよ」
 月長族はそれでなにもかも説明が付いたかのように、穴の周りの壁の縁に手を掛けて、右足を入れ、左足を入れ、そして突然姿が見えなくなった。
「え!? ちょっとどういう――」
 リンナは半ば叫ぶように言いながら、足を踏み入れて、その後はもう言葉にならなかった。

 下へ、下へ、下へ。

 闇の中を、リンナの体は落ちて行った。
 けれども落ちている感覚があったのは最初の一瞬だけで、あとはひたすら闇の中を浮かんでいるかのようだった。上も、下も分からなくなった。
「ちょっと、どういうことよー!」
 浮かんでいるかのような感覚をひとまず受け入れたリンナは、叫んでみた。答えは返ってこなかったが、反響した声の感じで、なんとなく周囲には壁があるのが分かった。
 どうやら中心塔の内側の穴を落下しているらしい、という考えに至った。
 そのとき。
「痛ぁーっ!」
 腰から、足へ背中へ衝撃が伝わってそんな思考は消し飛んだ。かなり高いところから落ちた割には軽微な衝撃だったが、そんなことを考えている余裕はなかった。
「どういう――ったぁっ!」
「ようこそ、管理者の庭へ。なかなか素敵な落下だったろう?」
 月長族の声が暗闇に響いた。
「どこがっ!」
 リンナはかみついたが、月長族がどこにいるのかはさっぱり分からなかった。
「怪我はないはずだよ。痛みも、もうないんじゃないかな」
 暗闇に、リンナの息をのむ音が反響した。
 確かに打ったはずの腰にも、ほかのどこにも痛みがなかった。恐る恐る立ち上がってみても、やはり痛みは走らない。
「なんで……」
「教えてあげる、おいで」
 その声とともに耳鳴りがして、闇に光が射し込んだ。光は左手に開いた扉の向こうから来ていた。
 月長族はその扉の前に立っていた。
「さあ、はやく」
 リンナはうなずくと月長族に駆けよって、光の向こうへ踏み出した。そこは落ちてくる前の中心塔と同じ、白い廊下だった。けれど、今度は外側の壁面にはつなぎ目が見えた。扉のつなぎ目が。
「もう、小細工は必要ないからね。それにきっとこの方が現実らしい」
 月長族はひとつの扉の前で立ち止まった。その口元が、かすかに笑っているように見えた。
 今度は耳鳴りはなかった。扉の向こうは、銀色の部屋だった。リンナが働く水耕栽培場《プラント》と同じくらいの広い空間に、制御卓《コンソール》が綺麗に並べられ、そして数人の月長族と猫目族《ねこ》がそれを操作していた。
「ここは赤の王の部屋。円盤大地の管理制御室だよ。僕たちはここから君たちを視ている。君たちの存在が維持されるように。危険を回避するように。君たちを安全に保存すること。それが僕たちの役目だった」
「だった? 保存する? 赤の王の夢っていったい……」
「君たちは赤の王の見ている夢の存在だ。赤の王が夢から覚めたら、この世界も、この世界の君たちも消える」
「え?」
「不思議に思ったことはない? なぜ君たちの世界に新しい赤ん坊が生まれないのかって。君たちのブロックにはメアより小さな子供はいないよね」
「あ……」
 確かに、リンナの暮らすブロックにはメアより小さな子供はいない。他のブロックにも赤ん坊がいるという話は聞かなかった。
 月長族は、こちらを見ていた別の黒い月長族に目配せした。黒い月長族がうなずくと、正面の銀の壁に映像が映し出された。白い楕円形のカプセルが、立位で無数に並ぶ薄暗い空間。
「これが君たちの現実さ」
 そのカプセルのひとつが徐々に大きく映し出される。カプセルの上部には透明な窓があって、そこから中がぼんやりと見える。
「そんな……!」
 そこにはリンナが眠っていた。
「本当の君はあそこにいる。現実世界の君たちは、個別の休眠ポッドに入り、一つの夢を共有しているのさ。当然、夢の世界でどのような接触を持っても、現実世界の肉体は触れ合わない。新しい赤ん坊が生まれる余地もない」
 リンナは言葉を失った。
 月長族は瞬きすると、首を傾げた。
「信じられないかな。そうだね、この世界にいる限り、君たちはこの世界を現実として認識するように設定されている。始まりから話してあげようか。長くなるから覚悟してね」

 現実の時間でおおよそ百年くらい前のことだ。
 君たちは、月面移住計画の後期に月にやってきた一派だった。当時、君たちの惑星は住み心地が良いとは言えなかった。誰もが、一刻も早く惑星を離れたがっていた。月面を選ぶ人間は多かった。君たちの世界も例外じゃなかった。だけど、移住するためには数年が必要だった。コロニー建設には時間がかかるからね。君たちはそんなには待てなかったんだ。だからコロニーが完成する前に惑星を離れ、休眠ポッドの中で完成を待つことを選んだ。
 ところがね、君たちの世界は完全休眠状態を維持できるポッドを十分良用意できなかった。だから、娯楽用の没入型仮想現実をベースにした、今の形が選ばれた。実際月面で予定されている生活基盤をある程度再現し、その世界で意識を動かし続けるという形がね。
 もちろん、これには欠点がある。完全な休眠状態でない以上、肉体はゆっくりではあるが時間の影響を受けるんだ。でも、コロニー建設は数年で終わるから、肉体が受ける影響は微々たるものになるはずだった。
 そして、コロニーの建造は作業ロボットと惑星からの物資定期便に任せて、人々は眠りについた。コロニーの建造状態のデータを、夢の管理プログラムにリンクさせ、コロニーが完成したときに目が覚めるように設定してね。

「完成、しなかったのね?」
「そのとおり。なんでかなんて聞かないでおくれよ。この世界に必要な情報は、コロニーが完成しているか、していないか。それ以上の情報は入ってこないからね。余計な情報を処理する余裕は、僕らにはないんだよ。さ、話を続けようか」

 人々は賢明だった。何かの問題が起こって、コロニーが完成しても目が覚めないことがあるかもしれない。目覚めないまま死んでしまうかもしれない、とね。
 そこで一定時間が経ったら、目を覚ますように設定した。
 だけど、本当にコロニーが完成していない場合もある。目を覚ましてしまった数万人が、狭い船内でパニックに陥る可能性もある。だから、最初にだれか一人を起こして、その一人に判断してもらうことにしたんだ。

「そのひとりが私だというの? なんで私なの? それに、なんでひとりなの?」
「料理人が多すぎると料理はまずくなるのさ。なぜ君かは僕らにも分からない。プログラムが決めたことだからね。あるいは眠りにつく前の君たちが決めたのかもしれないね」
「意味わかんない。寝てるしかないなら、そのままずっとそうさせてくれたらよかったのに。だって、気付かないんだから、それで問題ある?」
「眠ったまま緩やかに滅びゆくなんて、受け入れがたかったんだろうね」
 そういうわけだから、と月長族は事も無げに続けた。
「君にはこれから現実にかえってもらう。目が覚めればある程度思い出せるはずだけど、まあすぐには無理かもしれないから一応言っておくと、機器の操作方法はこの世界とほとんど変わりない。それで何とかなるはずだ」
「なんとかって……」
「そういうことになっているんだ。さあ、こっちへ」
 月長族はリンナを別の部屋へ案内した。
 先ほどの部屋と比べるとかなり狭い。そこには先ほど自分の姿を見た、楕円形のカプセルとよく似た白いものがあった。
 月長族が側面に触れると、上部の透明な部分が取り去られ、続いて下部のの白いカバーが手前に開いた。
「さあ、ここに立って」
 リンナが言うとおりにすると、月長族は下部の白いカバーを閉じた。
「君は向こうの世界で目覚める。向こうの世界の準備が整っていたなら、もうこの世界を続ける必要はない。コロニーが完成していなくても、現実を生きることだって選べる。そして、もし完成していても、ここに戻ってきたっていい。君がそう望むのなら、それを止める者は誰もいない。いつかまた選択された誰かが、選択を迫られるだけだからね」
 リンナは答えなかった。画面の中にいた、眠っている自分の姿を思っていた。
 目の前を透明のカバーが覆ったとき、月長族が笑ったように見えた。そして、それを確かめる間もなく意識が落ちて行った。

 瞼を開けると、世界は灰色だった。そう思った次の瞬間、目の前に青白い光コントロールが現れた。休眠から目覚めたことを示すメッセージ、ポッド内部の環境やシステムの状況を示す表示、そしてその他情報を閲覧するためのメニュー。
「あ、ほんとだ。基本はあっちと一緒」
 リンナは呟いて光に触れた。外部の環境を確認する。
 呼吸可能。気圧正常。宇宙線量安全。
 続いて、ポッド内からコロニーの情報にアクセスできるか試してみる。ポッドと夢、夢とコロニーのデータは繋がっているはずだから、ポッドからコロニーの情報も読めるはずだ。
 外部環境データの中を探すと、コロニーの建造記録があるのが分かった。
 コロニーの建造が始まって、一年足らずで移民船がコロニー建造予定地に到着。その後、コロニーの建造計画の進捗状況が細かく記載されている。
 建造記録は第三層の建造が始まる前の段階で止まっている。添付された図面を見る限りでは、建設されていたのは夢の中の世界に似た、高層都市だったようだ。記録を信じるなら、確かにコロニーは完成していない。
「データが間違っている可能性もある。月長族はそういってた。でも、それって外が安全だって言うデータが、間違ってる可能性もあるんじゃないの……?外に出たら窒息死とか、シャレになんない。……ま、ここで行かなきゃ女がすたるか!」

 リンナはポッドのコントロールに触れ、前面のカバーを開けた。視界が開けると同時に、ポッドの内壁に表示されていた光コントロールが消え、リンナは半ばポッドから飛び降りるような形で床に立った。
 そこには人がひとり歩けるくらいの隙間をあけて、等間隔に白いポッドが並んでいた。隣のポッドの中をちらりとのぞくと、見覚えのある顔があった。同じ共同住居に暮らしていたメアだ。
 部屋の壁に向かって歩きながらのぞき込んでいくと、この部屋で眠っているのはみんな同じ第三円盤の住人のようだった。
 壁際にたどり着くと、リンナは壁の制御盤に触れた。
 大きな画面で、ポッド中からよりも移民船全体のデータが読みとりやすい。移民船は主に操舵室、機関室と、七つの休眠室、そしてデータ集積室からなり、リンナがいるのは第三休眠室だと分かった。休眠室は縦に連なっているわけではなかったが、夢を管理するデータ集積室はニブロック下にあった。
「コロニーをこの目で確認するには……」
 地図の表示範囲を広げて、コロニーと船との位置関係を確認した。図によれば左舷の各階ハッチが、コロニーへの連絡通路と接続されているようだった。
「直に通路に出たら死にそうね」
 連絡通路の環境を示す数値はどれも宇宙空間のそれで、生身の人間にはとても足を踏み入れられそうには見えなかった。
「船外活動服は……ハッチの側にもあるか。よし!」
 リンナは改めて図面を確認すると、大きく息を吸い込み気合いの声を上げた。
 部屋を出ると、暗い廊下が時折カーブを描きながら続いていた。灯りは足下に点々と配置されたオレンジ色の細い誘導灯だけだった。
 リンナは図面を頭の中に思い描きながら、この階の左舷ハッチへと向かった。
「ここを、曲がったら……ある!」
 そこは行き止まりになっていた。前方の壁こそが、外とへ続く扉なのだ。
「スーツ、スーツ……」
 リンナは壁を探り、何かそれらしいところを拳で勢いよく叩いた。
 すると壁の一部が手前に開き、船外活動服が投げ出された。
 リンナはその構造にしばしば戸惑ったが、身体の記憶を頼りに着替えた。宇宙線調整と空気供給用のヘルメットを装着し、スーツの圧力調整をすると、体をぴったりと締め付ける感覚があった。
「よーし、行くぞ」
 ハッチは二重扉になっていた。一つ目の扉の内側で気圧などの環境が徐々に外と同調され、その後に外へ通じる扉が開くのだ。
「やっぱ、外も真空か……」
 船外活動スーツのヘルメットの内側に表示される外部環境データで、ハッチ内が減圧されていくのを確認してリンナはうめいた。
 そして、外扉が開いたとき、ひそかに期待していた気圧差衝撃はなく、リンナは肩を落として外を見まわした。
 あるはずの連絡通路はまだ柱しかなかった。床も壁もない。ただひたすら薄暗いだけの世界があった。
「なんにもない。何にもないんだ。こんな……空も見えない」
 コロニーを囲む出来損ないのドームが、空の大半を覆い隠していた。
 役にも立たない壁が、空を覆っていることに気がついたリンナは、憮然としてハッチの縁に立ち尽くした。
 そして、頭を振った。
「行こう。もう、ちゃんと確かめたから」
「作業用通路《チューブ》で行こうか」
 船内の移動には多方向昇降機《リフト》の方が楽だが、リンナはこの船の環境を信頼し切れていなかった。出口のない位置で急停止して、閉じこめられる危険のある昇降機を使う気になれなかったのだ。
 船全体に張り巡らされた作業用通路を使えば、どこでも好きな場所に出られる。どこかの通路がふさがっていたとしても、ほかに迂回できる。だが体力的には重労働だ。
 作業用通路の出入り口のカバーを押し開けて、リンナは呟いた。
「……もしかして、私昔昇降機に閉じこめられたことある?」
「ああっ、たぶん、ここだ……」
 狭い通路をはうように進み、梯子を下っては進み、ポッド中でろくに動かさないでいたからだが悲鳴を上げ始めたとき、ようやく目的の部屋に出た。
 金属でくまれた棚が並び、その中に置かれた無数の黒い四角い箱のような者が、時折青い光を放っていた。
 リンナが、入り口に近い位置にある制御卓《コンソール》に触れると、自動的にメッセージが表示された。

 ――赤の王の夢を継続しますか?

 そこにはやや小さい文字で〈あと二十二日六時間三十七分で自動的に終了します〉と補足されていた。そして、制御卓は〈継続〉と〈終了〉の選択肢を示した。
 リンナは〈継続〉を選ぼうと指を伸ばし、触れる直前でためらった。
「永遠に眠り続け、夢を見続ける。現実ではない世界を、現実だと思って生き続ける。そんなの不毛じゃないの……?」
 しかし、未完成のコロニーを前に、あの夢の世界以上に幸福に生きられる場所などあるだろうか。
「たとえ本物じゃないとしても……私は空を見ていたい」
 ほとんど、自分に言い聞かせるように囁くと、リンナは〈継続〉の文字に触れた。
 制御卓の表示が切り替わった。

 ――おやすみなさい。よい夢を。

メモ

冲方丁「ばいばい、アース」の影響を受けた遠未来月面幻想物語第2弾。

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